2・28事件 |  |
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投稿日:2016年04月02日 15:54
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1947年2月28日、台湾で国民党の圧政に対して本省人(台湾人)が一斉に蜂起したのが2・28事件である。
1945年。終戦に伴い台湾に進駐した国民党軍を本省人は当初は歓迎、「祖国復帰」を祝った。だが、ほどなくそれは幻滅に変わる。国民党の官僚・軍人の度を越した腐敗堕落は、日本の公正な統治下で数十年暮らしてきた本省人には耐え難い悪政であった。さらに軍規厳正な日本軍人ならあり得ない強姦や強奪。さらには台湾の資材は内戦のため収奪されインフレが進み、不満は募る一方であった。
2月27日、闇煙草取締りに抗議する民衆に警察が発砲、一名が死亡。翌日、それに抗議して台北市庁舎に集まった群衆に国民党軍は機関銃を掃射し数十人の死者をだす。ことここに至り民衆の怒りは爆発、蜂起は台湾全土に広がった。
本省人は日本語で敵味方を識別した。台湾の部族には日本語を話せない者もいたが、「君が代」は台湾人なら誰でも歌えた。群衆は君が代を合唱しながら街頭を行進したという。旧日本軍人や学生は日本軍の軍服を着て「独立自衛隊」を結成、各地で国民党軍を圧倒、シナからの進駐軍は「日本軍の復活だ」と浮き足だった。 台湾行政長官、陳儀は対話姿勢を見せて時間稼ぎをする一方、大陸に援軍を要請、一個師団を呼び寄せ、なんとか鎮圧する。 事件の最中に虐殺された本省人は28000人におよぶという。特に日本統治時代に教育を受けたインテリ層が集中的に逮捕され、多くが処刑されたという。後に総統となる李登輝は長期に渡り潜伏を余儀なくされ、邱栄漢は日本に亡命した。
このときに敷かれた戒厳令が解除されたのは40年後のことである。
大陸からの大軍の到着により形勢が圧倒的に不利になっても本省人が抵抗を続けたのは、「日本統治時代に養われた正義感」に基づいた義憤であり、また彼らの多くは「抵抗を続けていれば、いつか日本軍が救援にやってくる」と信じていたからだという。
最期の瞬間まで日本を信じて闘った方々に、合掌。 女性媚薬 紅蜘蛛 花痴
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